30年間その体が乗ってるのよ

先日、ふと膝が痛くなった。やれやれ、年はとりたくないものだ。

はて…激しい運動でもしただろうか。いや、その記憶はない。最近は物忘れも激しくなっているのだろう。

どこかにぶつけたかなぁ?

これも、正常性バイアスが正常に動いている証拠だろう。

「よっこらしょ、イテテテテ」

成長通なのだ、まだ育ち盛りだもん。横に…

よかった。私の正常性バイアスは平常運転のようだ。

現実逃避はダメ人間の醍醐味だ。

ちなみに「よっこらしょ」は私の妻の口癖だ。

うちのカミさんがね。この口癖をわたしも使いたいのだが…いかんせん小心者なので、照れが出てしまう。なので妻と言うようにいつも心がけている。

話を戻し、私が痛がっていると、妻が気にかけてくれたのだ。なかなかないことだ。明日は槍が降るくらい珍しい。

「どうしたの?」

明日は雨か?いやあられか?いやカエルが降るか?

予想外の反応に思わずちょっと嬉しくなるわたし。体は正直だ。返答するいつもよりワンオクターブ高い声。

隠しきれないちょっとした嬉しさをあらわしている。パブロフの犬ならぬ、妻の犬である。普段冷たいので、ちょっとした優しさでヨダレがダラダラである。

「いや、ちょっと膝痛くてさ」

さらなる心配を期待する淡い一言。

「当たり前でしょ。その体が30年以上乗ってるのよ。可哀想でしょ、膝が」

真顔で放たれるその言葉は、ごく自然だ。特に笑うようすもない。淡いを通り越し淡々だ。

特に攻撃的な意味は含まれているわけじゃない。

じゃないよ。じゃないけど、すごく突き刺さる。

、、、や、ふほ…絶句。

そして思わず納得するぐらい。引っかかるんじゃなくて、貫通しているのだ。

よく漫画で、切られたことにすら気づかないだろう的な表現をしていることがあるが、それと近似する妻の一言。

そして、哀れみの対象が私という存在から離れて”膝”になっていることにふと気づく、、

あれ、膝と俺って別個体だっけ?ひざに乗っている私?主体はどっち?

ジオング?

(ジオングがわからない方は検索していただければ、私のフォルムが想像しやすいかと。)

沸々と私の中で拡大する違和感。その時すでに、私という個と、膝としての個が崩壊する。

妻にとって私という存在はどんな形相と質料で分類されているのだろうか、と考えると私に対する妻の哲学的思考は私にはいまだ理解できない。

と、たまにはそんなことを考えながら飲むビールは変わらずに美味い。

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